子どもの頃よくした、じゃんけんで負けた人が友達のランドセルを全部持って次の電柱まで歩くというゲーム。子どもって容赦ないから、負けは負け。どんなに重くても「とりあえず次の電柱まで」と踏ん張った。今はそんな風にがむしゃらに歩くことはなくなったけれど、あの頃のように目の前のことを素直に受け入れて前に進み続けることって大切だと気付いた。そんな私の頭の中で渦巻く様々な思いを今はとりあえず少しづつ形にしていきたい。

ここに 暮らす。

今朝バスを待つこと10分。その間に知り合いに声を掛けたりかけられたり。名前を知っている人は名前を呼んで、知らなくても顔見知りやバス停仲間には軽く挨拶。時には反対側のバス停からも声や笑顔が飛んでくることも!

あぁ、私はここに暮らしているんだなぁ。

と思うとても幸せな、大好きな瞬間。

私はかれこれ8年この国にいるのだけれど、自分ではまだ3年ぐらいの感覚。というのも、この国にいる事とこの国に住む事って全然違うなぁ。と思うようになったから。そして住む事と暮らす事も全然違うって感じるように。

特に子どもが生まれてこの違いを痛感したのだけれど、私の中で暮らすとは、地域のコミュニティに属して、一住民として居に住まうこと(シェアハウスでもなんでも)だと思う。だから、ただ住んでいた時には気がつかなかった事や情報も暮らしているととても大切なものだと知ったり、ご近所さんの支えが本当にありがたかったりする。
 
子どもがいなくても、短期滞在の人でもうまく地域に溶け込んでいる人を見るとすごいなぁ!とただただ感心してしまう今日この頃。私が気がつかなかっただけでみんなちゃんと暮らしてるのね!!すごい!
 
例えば今朝のバス停での挨拶。そしてたまに近所の子ども達が日曜の夕方、アパートの外からウチに向かって大声で息子の名前を呼んで遊びに誘ってくれる時。お隣さんが明日から出張だからと知らせてくれたり、同じアパート内の人がわざわざお土産を買って来てくれたりした時。そんな時はただただ、嬉しくて、幸せ。

日本だったらこうなのに、あぁなのに。。。と昔は思う事が多かったけど、暮らし始めると(あぁ、同じなんだな。)って思う事が増えた。
夕食時、ご近所さんから漂ってくる美味しそうな匂い。ここではたまにビックリするような刺激臭?だったりするけど(笑)でもやっぱり同じ。

そう感じた時から、住まいに、環境に、人々にと全てに愛おしさと親しみをも感じるようになった。

住めば都。
私風に言うと、暮らせば都。
この都を大切にしていきたい。
 
そういえば、昔この発見を伝えたくて英語の先生に聞いたのだけれど、暮らすも住むも英語ではどっちもliveなんだって。面白いなぁ。